法案、としてのコラム


未熟練労働者災害を防止しよう


 私の人生の振り出しは、日雇い人夫から始まりました。これは、高学歴化・組織化した現代からは、奇異に見られるかも知れません。しかし、昔の関西においては、日雇いから人生の一歩を始めるというのは、粋で、いなせな、男らしい生き方として尊ばれたのです。70年代までは、こういう風潮が残っていました。裾広の七分ズボンに、地下足袋を履いて、地面につるはしを振るう姿は、青春の1ページとして、誰しもが残して置きたかったのです。

 後にガラス屋に入って、13年間勤めました。ここはもともと、職人上がりの人が興した会社で、職人には理解がありました。仕事のない時でも、最低賃金が保障されました。オーナー夫婦は旅行好きで、ゆく先々では土産を、10人以上もいる職人の為に買ってくれました。こんなに居心地が良ければ、長続きするのも当然でしょう。

 やがて80年代に入り、オーナーが亡くなりました。ゼネコン傘下の工事会社にも交友があり、顔の広い人だったので、盛大な葬式が営まれました。
 ずっと事務をやっていた人が、社長になりました。この会社は、事務、営業、運転手は社員扱いで、職人は受取りの外注という形態を取っていました。社員は厚生年金に入っていますが、職人は厚生年金には入っていません。それでも不足はなかったのは、受取りが透明で、忙しい時には職人の方が儲かっていたからです。戦後ずっと、現場が主、会社が従という風潮だったそうです。社員といっても生え抜きではなく、職人の中で怪我をした者、不器用で使えない者が、営業や運転に回ったのです。
 営業といっても、ゼネコン傘下で、同じ人間を相手にしているので、飛び込み営業などはありません。 気楽なものです。私も事務所を覗いてみましたが、電話がかかって来て、受話器を取って、最初に口にするのが、「ああ」です。ひどい時には、返事もせず、ただにやにや笑って、一方的に相手に喋らせるだけです。現場に顔を出す事もせず、夕方6時にはきっちり消灯して帰ります。そんな風です。
 しかし、新しい社長は、事務職に、オフィスに、プライドを持っていました。そして、暇な時でも日当を出さなければならないので、職人のことを泥棒呼ばわりしました。そんなに経理が自慢なら、経理会社に勤めれば良かったのです。果ては、職人は社員に逆らうな、と広言するようになりました。その頃には、賃金にも差がついて、社員の月収50万に対して、職人は20万、という有り様です。ほかにもいろいろ、不愉快な事が重なったので、私はそこを辞めました。ここに注意して下さい。13年勤めて、多くの仕事に精通している人間が、袖を引かれもせずに辞めたのです。

 むかし取った杵柄で、私はまた、鳶・土工の世界に帰りました。鳶・土工というのは、ずっと青空の下で仕事をしているので、気の良い連中が多いのです。土方というと日雇いのイメージがありますが、掘削・配管・コン打ち・ブロック積みと、その仕事は多岐に渡り、ランド・メーカーの名にふさわしいものです。また、鳶職はいつも見晴らしの良いところで仕事ができて、気持ちが良いものです。6月の入道雲を、最初に見つけるのは鳶職です。私はいつも楽しく、充実した汗を流していました。
 ビルの内装工事で、1階から6階まで、エスカレーター回りに足場を組む仕事があり、ひとりの若い衆と赴きました。仕事が終ったのは陽も暮れた7時で、現場は道頓堀です。まわりの賑やかな雰囲気に誘われて、私は青年を居酒屋に誘いました。そこそこ機転も利く、責任感もある、意欲と誠意に溢れた、模範的な勤労青年です。
 酔いも手伝って、不躾な質問も出るようになります。私は、その唇の傷はなんだと訊ねました。温厚そうな顔なのに、不似合いな傷です。彼は答えました。ここへ来る前、短期間、ガラス屋にいて、事故で上からガラスの破片が落ちてきて、それで怪我をしたとの事です。いっぺんに酔いが冷めました。それはどこの店だと訊ねると、大阪じゃない、遠くの方だと言います。幸いにして、私が辞めた店と、彼が怪我を負わされた店とは、違ったようです。しかし、同じ事です。私がいた店と、彼がいた店が違っても、それは同じなのです。日本中で同じ事が起こっているのです。
 もし、私がその現場にいたら、彼に怪我をさせなかったというだけの自信はあります。ここで、何が起こっているのでしょうか。熟練労働者を追い出して、天下を取ったつもりの、現場を知らない経営者が、軽い気持ちで若者を雇って、簡単にレクチャーすれば済むだろうと仕事を任せた結果、招いた事故なのです。経営者は仕事を知りません。その詳細も、危険も知らず、現場を侮蔑したまま、そこから利益を上げようとします。その結果招いた事故ならば、そこには重大な責任があります。仕事を侮蔑しているから、ベテラン職人も平気で追い出せるし、有為な若者に怪我を負わせても、蛙や鶏のように平気な顔をしていられます。これは犯罪です。許すべからざる犯罪なのです。

 職人と経営者とでは、教え方が違います。まず、経営者は現場にいません。現場に顔を出すだけでも、えらい経営者です。しかし、現場に顔を出すだけでは、見えないものがあります。
 経営者が新人に仕事を教えるとしたら、ガラスに吸盤をくっつけて、それをサッシに納めるのだと説くでしょう。見た通りの事を説くでしょう。しかし、職人はそんな教え方はしません。吸盤は、着いて当たり前。サッシは、入って当たり前なんです。そんな事に言葉は要しません。そうではなく、ガラスを持ち上げてサッシに入れる間際、あんまり力を入れすぎてはいけないと教えるのです。勢いよく持ち上げたガラスが、サッシの角にぶつかって割れるというのは、10年に1度、20年に1度、あるかないかというような事故です。しかし、職人はつねにそれを想定して、そうならないよう注意して仕事をしています。そこまでは、現場を見ているだけでは理解が及ばないのです。2ミリ程度の小さな破片が飛ぶ事はままありますが、それとても、端で見ていては分からない事です。危険の多い現場仕事や工場仕事は、誠実な熟練労働者の手を通してのみ伝えられるもので、上っ面を見ただけの経営者にも教えられると思うのが間違いの始まりです。それはもう、犯罪なのです。

 現場はいつも、事故が起こらないのが当たり前です。その、いつも通りの、当たり前の現場を見ていても、事故防止にはつながらないのです。

 80年代後半から、90年代にかけては、日本中で、このような事が起こっていました。建設業だけではありません。全業種を巻き込んで、同じような事が起こったのです。
 ベテラン・ドライバーは運送屋を辞め、トラックを降りました。一日に数万を稼ぐボード屋は店を畳み、道具を売り払いました。都心の高層ビルでキャリアを築いたガラス屋も、店を辞めます。そして、お互いの得意分野を捨てて、日当7000円で、一から見習い修行を始めたのです。熟練労働者が、そんなに簡単に職を捨てるものでしょうか。しかし、プライドの高い労働者は、そのプライドを傷付けられると、簡単に辞めてしまうのです。これは、90年代日本の支配者層が掘り当てた大発見であったと言えます。なぜ、こんな事が起こったのでしょうか。

 80年代バブルによって、株や土地は天井知らずに上昇を続けました。誰でも、まとまったカネを投資すれば、濡れ手に粟の大儲けができたのです。会社の経理担当者は、俺たちは電話一本で、お前たちの数年分を稼ぐのだと、現場労働者を蔑みの眼で見るようになります。反転下落後に反省すれば良いのに、反省せず、会社を金儲けの道具としか考えなくなった連中は、熟練労働者を追い出して、ぺーぺーの若い連中を雇えば、人件費を大幅削減できると企んだのです。バブルは、国民経済を混乱に陥れるとか、射幸心を煽るとかいう以上に、こういう形で人心を荒廃させるところが許せないのです。
 また、80年代は、大きなプロジェクトが乱発された時代でもあります。ゼネコン傘下の工事会社はほぼ密着型で、移動も競争もありません。なり上がりの経営者は、これまで信用を培ったのは誰かという事も忘れて、自分の顔とコネクションこそが巨額のカネを動かしているのだと勘違いするようになります。上の方ばかり見ている人間は、浮ついた人間になりやすいのです。
 終戦後、多くの工事会社が職人の手によって創業されました。その、代がわりの時期に当たったというのもあります。ほとんど家族のように、親分子分のような眼で職人を見ていた経営者が、帳簿の上だけで、数字だけでものごとを見る経営者に取って代わられました。先代が、職人の中から後継者を選ばなかったというのは、つくづく残念な事です。これは、運送会社にもいえる事です。
 熟練労働者を守る法整備がなされてなかったというのも原因のひとつです。ガラス屋を看板に掲げる工事会社で、ガラス職人が受取りで、経理が社員、というのは矛盾です。また、職人の多くは、厚生年金にも、ほかの何の年金にも加入していません。これは、戦後ずっとなおざりにされて来て、議論さえされなかった事です。この身分保障のなさが、ここに来て、欲深になった経営者から狙われたのです。
 様々な事情が重なって、90年代は、熟練労働者がその職歴を捨てるという、前代未聞の事態が日本中で頻発しました。私が身近に接して、とっぷり話し込んだだけでも3人はいます。ひとりはトラック運転手、ひとりはボード屋、ひとりはALCという建材据え付け工です。話に聞くだけなら、ほとんど毎週こんな話を聞いていました。これは、肯定的に見れば、人生を2倍楽しめたと言えるのかも知れません。しかし、多くの場合、転職の度に貧しくなるのが普通です。

 そして、見逃せないのが、後継者の育成と、現場の安全管理が放棄された事です。

 顔に怪我を負うというのは、普通ではありません。容姿に気を使う者なら、毎朝、鏡を見る度に悲しい思いをします。それが、一生続くのです。世が世なら、ならず者のレッテルを貼られるかも知れません。少なくとも、公式のレセプションで、皇族の方と肩を並べるのにはふさわしくない奴だと思われるでしょう。身分の高い人に、負傷者や罹病者など、問題を抱え込んだ者を見せたくないという心理は、日本人には抜きがたくあります。顔の傷は、見た目以上のハンデなのです。
 自分が天職として選んだ仕事で、傷を負わされるのならまだしも。穴埋め要員として、二十歳前後の若者が、右も左もわからぬまま現場に呼ばれて、そこを持てと言われて、力を入れた途端に大きな音がして被災。これはもう、災難としか言いようがありません。しかも、避ける事のできた災難です。しかも、80年代以前にはなかった類の災難です。
 この頃はガラス屋の扱う材料も大きくなって、1枚の大板を入れるのに、10人がかりという事もしばしばです。そんな時は、左右の両端はベテランが固めて、経験の浅い者は中の方に回します。サッシはまっすぐなので、ガラスが真ん中から割れるという事はありません。私がそこにいれば、彼に怪我を負わせる事はなかったと、九分通り言えます。しかし、私はそこに居られなかったのです。プライドを傷付けられ、傲慢な社員は元のままで職人だけ賃金を減らされ、将来を絶たれ、未来を絶たれたような形で、辞めざるを得なかったのです。

 労働災害は根絶すべきです。中でも、未熟練労働者災害は、よりいっそう厳しく、責任を追及すべきです。書類で済まさず、警察沙汰、刑事事件として扱っても良いくらいです。
 未熟練労働者災害は、犯罪です。しかも、二重三重の犯罪です。それが成立する前提として、多くの場合、熟練労働者を蔑視し、追い出しています。これは、労働に対する犯罪です。そして、若者を起用して怪我を負わしている。これは、人間そのものに対する犯罪です。そして、若い奴が何も言わなかったら、そのままお払い箱にして済まそうという魂胆なのです。これは、自分の職責に対する犯罪です。未熟練労災は、労働と人間に対する犯罪であり、業界の責任と信用に泥を塗る行為なのです。あとに何が残るというのでしょうか。

 この犯罪はまた、隠蔽されやすいという性格を持っています。若い奴は、自分の体力や能力に自信を持っています。現場で事故を起こせば、それを自分の未熟さのせいにし勝ちです。そうではありません。そこに、事情を弁えた先輩や上司がいたら、起こり得なかったのです。そういう訳で、未熟練労働者災害に、時効というものはありません。10年、20年たって、自分の受けたハンデが、思いのほか人生行路の妨げになっていると気付く事があります。人に負わされた障害が、また新たな障害を生んで、この世を生きづらくさせている場合があります。そう気付いてからでも、遅くはありません。未熟練労災は、告発されるべきです。経営者、ならびに雇用者が、罪を問われます。会社が潰れれば、個人責任を追及します。本人が死んでいれば、墓をあばいて屍を打ちます。それくらいで妥当です。さもなければ、子供や孫の顔を切り刻んで、碁盤の目のようにしてやるのです。それくらいで妥当です。未熟練労災というのは、それくらい罪深い犯罪です。わが身よければそれで良し、人も世も舐めきった、複合的な犯罪なのです。

 未熟練労災は、この世から一掃されるべきです。一件でも、こんな事件の起こる国家は、マフィアに支配されていると言っても良いでしょう。その為にも、未熟練労災は、本人の親告を待つ必要はありません。障害を負った若者を見れば、誰もが、それはどこで負わされたのかと訊ねるべきです。そうやって、社会の浄化に協力した会社は、公共事業を優先的に受注できるという余禄くらいあって当然です。未熟練労災に時効なし。また、親告を待たずに告発が可能。これほどに厳しくすべきなのは、それが、労働の蔑視や、熟練労働者の締め出しを未然に防いでくれるからです。何よりも、有為な若者の有為な未来を、健全に保つ為です。若者のこれからの10年が、場合によっては人生そのものが、今この瞬間だけを貪る年寄りの犠牲にされて良い筈がありません。未熟練労災は、ふつうの傷害事件よりも重い、反社会的、搾取的な犯罪と認識されるベきです。

 熟練労働者の追い出しに伴って、その同じ数だけ、未熟練労災の件数は多くなります。

 パチプロ集団「梁山泊」の初期メンバーのひとりは、土木業からの転職者であるといいます。山肌にモルタルを吹き付ける作業の途中、腕に落石が当たって被災。生涯にわたっての前腕麻痺という障害を負いました。老いた母を抱えて、パチンコで生きていくしかない。悲愴な決意で、梁山泊の門を叩いたと言います。血の滲むような努力の果てに、パチプロ師として年収2000万を上げるようになったとは、近年まれに聞く良い話です。しかし、ひとつ気になるのは、当初の事故で、どうも、なんの保障も貰っていないように見える事です。子請け孫請けの錯綜した業界ですから、いいかげんな、にわか作りの工務店の一員として赴いたのかも知れません。しかし、道路工事なら公共事業の筈です。日本はいつから、このように、労災にずぼらな国になったのでしょうか。悪名高き、大手ゼネコンによる労災隠し。その犠牲になっているのは、右も左も分からぬ10代、20代の若者なのです。労災隠しは、労災そのものよりも厳しく摘発されるべきです。まして、未熟練労災は、国を挙げて捜査すべき事例です。現場の責任者のみならず、背後にいる経営者にまで追求が及ぶのは、言うまでもありません。

 熟練労働者の高賃金は、理由があって高賃金なのです。それは労災を、未然に防いでくれるのです。カットされるべきは、経営者の方です。事情を知らぬ経営者による効率化は、労働の蔑視しか引き起こさない。その上での、事故。死んで罪を償え、というのが、私が口にできる最上の言葉です。

 大手ゼネコンは月に一度、安全衛生大会というのを催しています。本来、職人が出席すべきなのですが、ここに出席しているはの大概、傘下の工事会社の正社員です。これは、昔風の、親方同士の集会を兼ねているのですから、ぜひ、職長が出席するべきです。ここでは、数多くの重大災害の事例が報告されています。仕事が忙しいなら、見習いの若い奴を出席させても良いのです。たまに覗く世界は、深く印象づけられるでしょう。しかし、多くの工事会社は、安全衛生大会に職人を出席させる事はありません。日当が勿体ないというのです。しかし、正社員である営業担当、安全衛生担当をここに出席させる事は苦にならないのです。社員だって、ここに出席する事によって、職人と同等か、場合によってはそれ以上の賃金を貰っているにも関わらずです。要するに、同じ人間だと思っていないのです。安全衛生に責任のある工事会社の長が、職人を同等の人間とは見なさない。とすれば、労働省、建設省、大手ゼネコンが掲げる安全衛生は、絵に描いた餅にしかならないでしょう。熟練労働者を追い出し、10代、20代の若い連中を雇っては、怪我を負わせて解雇する。工事会社はそのような、怪我人製造マシンになり下がるでしょう。 職人の地位向上なくして安全衛生なし、とは、私がここで掲げたい標語です。

 安全衛生大会については、もうひとつ落とし穴があります。ここで報告されるのは、死亡事故と同等の重大災害ばかりです。それを、工事会社の安全衛生担当は、百も千もファイルに集めて、それに精通した専門家となります。しかし彼は、ほとんど現場には顔を出さないのです。ヘルメットを被る事さえ稀です。指を詰めた、釘を踏んだ、材料を壊した、というような事故事例は、ここでは報告されていません。このような事故は、どう発展しても死亡事故にはつながらないとしても、若者の身に傷を残し、辞表を書かせるには充分な事故です。それを予見したとしても、いちいち言葉で説明するほど、お喋りな親方はいません。通路を確保する、よその材料はシートをめくって見る、ぶつかりそうなら足場を一時解体すると、行動で示されるものです。現場では、見えざる伝承、語られざる伝承の方が多いのです。一方で、生涯を安全衛生に捧げたという社員が誇らしく退職します。その一方で、生きたノウハウを身に付けた職人は、袖を引かれもせずに辞めてゆきます。見えざる伝承は見えないまま、宙に消えてしまうのです。職人の地位向上なくして安全衛生なしとは、重ねて、私がここで言いたい言葉です。

 未熟練労働者災害防止法を制定して、若者を災害から守りましょう。それは職人の地位向上につながり、業界そのものの向上と発展をもたらすに違いないと信じてやみません。








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