沿革

インターネットと職人党
ひたすら労働者の味方
公共事業について
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

インターネットと職人党


 1998年にWindows98が発売され、個人のネット接続が容易になりました。さらに、2001年、各地のケーブル・テレビ局やヤフーBBが低額接続を開始し、インターネットの利用者は爆発的に増加しました。
 そんな中、西村博之氏の主宰する巨大掲示板「2ちゃんねる」にアクセスが集まり、真の世論が白日の下に姿を現わしたのです。
 その主義主張は、従来のマスコミの提示する世論とは喰い違うばかりか、ほとんど正反対の形を取ったのです。


マスコミ 2ちゃんねる
フェミニズム  毎日、朝日が先導、読売、産経、行政、財界が追随。全女性が家庭から「解放」され、社会に出て男性並に働く事を希望すると主張。  夫は仕事、妻は家庭、という伝統回帰
死刑制度の廃止  アムネスティ・ジャパンが先導、全マスコミがこの問題を取り上げる。一部議員もこの思想に染まる。  死刑の存続、特に性犯罪には厳罰を要求。
中国との関係  友好、無批判、土下座外交を、政府が先導。全マスコミが追随。外国人労働者を導入したい財界の思惑と、全国民を隷属化したままに置きたい中獄共産党との思惑が一致。  感情的な排斥論から、円レートが高過ぎるという高度な分析まで。いずれにせよ警戒論が主流。
外国人労働者の
    導入
 毎日、朝日が先導。一部議員もこの思想に染まる。  治安の悪化を警戒。
再軍備  ひたすら非核反戦、平和の神格化。軍靴の音が聞こえる。  チベット、ウイグル、尖閣諸島など、中国の侵略主義を警戒。
在日コリアン  すべて強制連行によるもの。  ふつうの出稼ぎ、また密航も多かったと指摘。

 これを見ると、マスコミは捏造した世論をもとに、政府に改革を求め、我意を通してきたという事実が明らかになります。全国に存在する、県立、市立の女性センターがその成果です。
 マスコミはたださえ、新奇な理屈に飛びつきます。丁寧にドラマを作ったり、情報を求めて走り回るよりも、その方が楽です。まして、マスコミが権力の近くにあり、そこでの議論が政策に反映されるとなると、興味と白熱さは増すでしょう。しかし、マスコミの怠惰と傲慢によって、伝統ある国民生活が少しづつ破壊されるような事はあってはならないのです。
 2ちゃんねるを通して、ここに明らかになった真の世論に忠実な政治勢力が誕生すべきです。職人党は、これから数多く誕生するであろう2ちゃんねる政党のひとつ(=中心勢力?)として、自らを規定するものです。
 反対勢力によるネット工作も、これから頻発化してくるでしょう。よって、職人党は、2005年から2009年にかけてのネット世論を是とするものです。それは以下の通り。


中国との関係  その侵略主義を「批判」する。
外国人労働者  円レートを切り下げる。もしくは、入管の手を煩わして排斥。
在日問題  戦前、戦中を通しての在日コリアン、在日チャイナ、在日タイワンとは融和、自発的日本人と評価。ただし、反日勢力は排斥。また、80年代以降の流入は排斥。
フェミニズム  伝統回帰。ただし、家事や育児を全うした上での、女性の社会進出は勧める。セクハラ親父の目線を避ける為、職場につい立てを導入する。
死刑制度  推進。また、晒し首にするなど、遺体の陵辱を提案。

 2ちゃんねるの利用者は1000万人を越えると言います。これは、既存のマスコミが、報道においては長けても、思想形成・問題定義においては、どれだけ偏った勢力に牛耳られていたかという事が分かります。政治は、まだまだ、ここから多くを汲み取らねばならないのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ひたすら労働者の味方


 いまの日本に、どれだけ、労働者の事を親身になって考えてくれる政党があるでしょうか。

 社会党や共産党というのは、本来、労働者の味方の党である筈です。しかし、この国では、そうではなかったのです。
 北朝鮮による拉致問題について、社会党党首・土井たか子は、「捏造、捏造」と連呼していました。当時のマスコミも、その論調でした。唯一、産経新聞だけが拉致事件を事実として報道して、奇異に見られたものです。後に、拉致事件の全容が解明されるにつれ、社会党は、北朝鮮の日本支局に過ぎない事が明らかになりました。社会党は後に、社民党と、民主党の左派とに分裂しました。
 同時期に、日本政府は、フェミニズム行政を推進しました。家族を解体し、女性を安価な労働力として社会に役立てようとしました。これは、政府高官とマスコミとが一丸となった、悪しき改革です。そう思っていました。
 ところが、2003年4月、東京都知事選挙において、共産党は、石原慎太郎の対立候補として、フェミニストの樋口恵子を擁立したのです。これまで、共産党とフェミニズムは関係がないように見えていました。しかし、陰で糸を引いていたのは、共産党だったのです。これは何を意味するでしょうか。
 従来、共産党や社会党は、労働者の味方を装って、票を伸ばしていました。しかし、1980年あたりを境に、戦略が変わったのです。左翼は成績優秀な者が多いのです。わざわざビラ撒きに専念して、一生を棒に振る事はありません。政府やマスコミに就職し、その枢要を占めて、それから改革に着手しようと戦略を変えたのです。連中が何をやろうと勝手です。しかし、忘れてはならない事があります。それは、労働者の味方をする政党がなくなった事です。誰が我々の立場を代弁してくれるのでしょうか。

 いま現在、末端の労働者の利害を代表しているのは、皮肉な事に、自民党です。中国の侵略主義を警戒する一部の勢力が、中国人労働者の受け入れに反対しているのです。これは、賃下げを防いでくれるので、労働者と利害が一致します。しかし、あくまでも一時の事です。自民党は、基本的に、ブルジョワ政党です。企業経営者の為の政党です。「お前ら、俺達に楽をさせる為に、せいぜい働け!」という政党です。しかし、労働者は自分の為に働くのであって、経営者を儲けさせる為に働くのではありません。ここのところを勘違いする馬鹿が多いから困るのです。

 ヨーロッパにおいては、労働者を守る政党が存在します。ハンガリーの首都ブダペストに戦車2500両で乗り付け、民主選挙で選ばれた大統領を拉致するような、ソビエトの侵略主義を眼のあたりに見ているのだから当然です。西ドイツの社民党、イギリスの労働党とも、ソビエトや、左翼リベラル思想とは無縁な、自国の労働者を見守る政党になっています。お陰で、ヨーロッパでは、末端の労働者が国家の繁栄を享受しているのです。

 我々は、左翼政党から見捨てられました。左翼は政府やマスコミに就職して、急進リベラルに邁進しました。我々は、労働者の権利を擁護してくれるシステムを、立て直さねばなりません。柱を立て、屋根を葺いて、雨露をしのぐところからやり直さねばならないのです。

 職人党は、ひたすら労働者の味方です。というより、労働者自身なのです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

公共事業について


 職人党は、職人、工員、調理師など、都会の底辺労働者を中心にまとめ上げてゆきたいと思います。やがては、農業や漁業に従事する人々をも射程に入れたいです。このような党において、公共事業はどのように位置付けられるでしょうか。

 建設業の就業人口は、全産業の一割近くであると言います。それだけではありません。製造業も、大部分は、資材メーカーであったりします。輸送業も、食料品のほかに、鉄骨やボードを満載して走るトラックをよく見かけます。建設需要は、製造業や輸送業をも潤します。また、職人はクルマ好きで、喰いしん坊です。懐が豊かになれば、すぐに新車を買い、飲み喰いに使います。この層への投資は、回転率が早いのです。
 しかし、不景気になると、もっとも打撃を受けるのが建設業です。衣食住のうち、衣食については、不景気になっても変化はありません。不景気だから、ご飯の量を減らそうという人は、今の日本にはいません。衣料品についても同様です。景気が良くなると、浮ついた気分になってミニスカートが流行り、不景気になると、落ち付いた、守りの姿勢になってロングスカートが流行ると言います。生地が増えた分だけ、不景気の方が儲かるというものです。
 建設業については、こういう訳にはいきません。衣食が変わらない分、不景気の皺寄せは、建設業に向かうのです。貯金がない、仕事がない、銀行が金を貸さない、新たな商売の見込みもない。そんな時に、誰が、家を建てたり、ビルを建てたりするでしょうか。自殺行為です。誰も建てません。すると、一千万人労働者が、仕事を失い、賃下げを強いられ、仲間の手を切り、家で電話を待つ日々を送るようになります。不景気のダメージは、建設業において深刻なものとなります。
 しかし、これほどの不景気は、何年に一回でしょうか。私の記憶では、1993、1994、両年が厳しかったように思います。バブル崩壊後の不景気に加えて、金丸信の脱税疑惑に端を発するゼネコン汚職事件が、社会制裁的に建設業を鞭打っていました。仕事はなく、職人は詰所でとぐろを巻き、よそでは、一時3万を越えた日当がいっぺんに1.5に減らされたとの事です。カネがないのと、社会的非難とで、本当に惨めな、暗い、落ち込んだ気分になったものです。
 1984年からずっと建設業に関わって来て、一番厳しいのがこの時です。20年に一度か、30年に一度の厳冬期です。こう考えると、常日頃から、公共事業を、公共事業をと、叫ばなくて良い事が分かります。あんまり公共事業が乱発され、それが常態化すると、職人は、第二の公務員のようになります。我々は民需でやってゆけます。それで充分、忙しいのです。景気対策としての公共事業は、20年に一度か、30年に一度の、ここぞというような時に発動して貰いたいものです。
 なにかというとすぐに、公共事業を、公共事業をと、連呼する、乞食のような奴らは、切り捨てましょう。そんな奴らは、職人ではありません。小さい工務店の経営者で、職人には雀の涙ほどの賃金を払って、自分だけ太ろうと考えているのです。さもなきゃ、職人だとしても、親方でもないのに親方面して、広い現場をうろうろ行ったり来たりして、それだけでおカネが貰えると思っているような怠け者です。こんな奴らは、現場に穴を掘って埋めて、上からパイルを打ち込んで、コンクリを流して、人柱にしてやれば良いのです。景気対策の為の公共事業というからには、丸投げ禁止、オープン経理と、カネには厳しくやって貰いたいものです。10万円以上のカネの流れは、インターネットで公開するくらいでちょうど良いのです。

 職人党は、農業、漁業まで含めた、すべての労働者が参加する党を目指します。お百姓さんが、補助金、補助金を連呼して、国民の理解が得られるでしょうか。同じ事です。職人が、公共事業、公共事業を連呼しては、とても全国民の理解は得られないのです。
 思い出して下さい。1993氷河期は、不景気に加えて、ゼネコン汚職への社会的制裁が加わっていた事を。打出の小槌などというものは、どこにもないのです。

 幸いにして、私の職歴は、官需を避けて通っていたようです。誰に対しても、恥ずかしくはありません。たった一日だけ、イロモノ行政のハシリとも言うべき、大阪市立国際交流会館の応援に行った事があります。勉強になりました。そこで私が見たものは、何だったでしょうか。曲りくねった廊下の奥、食堂だか、専用レストランだか知りませんが、その内装の見事なこと。それは何に似ているかというと、タイタニックの一等専用食堂とか、ルキノ・ヴィスコンティの生家とか、それくらいのものです。役人は、まず自分達のオフィスとか、食堂とかを小奇麗にしようとします。それが、景気対策とか、社会投資とか呼ばれるのは、間違っています。
 1993当時の公共事業と言えば、市立女性センターや、府立女性センターが乱立されていた頃です。当時の政府は、若い女に向かって、「結婚するな!」と命令していたのです。若い女を蝶に喩えるなら、フェミニズムはそれを捕える大きな蜘蛛の巣です。カネで殺し屋を雇って、女の大量虐殺をしたも同然なのです。女性センターとは、その命令を補強し、若い男を絶望に陥れる為の要塞です。それのどこが、景気対策であり、社会投資だと言えるのでしょうか。
 なぜ、もっと素直に、公営住宅が作られないのでしょう。公園のような広い敷地に、ヴェルサイユ宮殿のようなお伽の城を建てて、安い家賃で新婚夫婦を住まわせれば、彼らは浮いたお金で家具を買い、クルマを買い、どれだけの経済波及効果が期待されるか知れません。しかも、人間が増える、日本人が増える、良いことずくめです。
 女性センターや、国際交流会館の類を、公共事業と認めてはいけません。これは、国がハイジャックされて、役人が税金を貪っているに過ぎないのです。ほかにもっと良い使い道のあったお金を、どぶに捨てているのです。こんな物件の入札は、蹴ってやろうじゃないですか。そうすりゃ、どれだけ愉快か、どれだけ名誉か。末端の一労務者までが、どれだけ鼻の高い思いをするか。日本中が拍手喝采して、建設業界の受注高はぐんと伸びるに違いありません。
 もし私が、うまく出世して、建設業界の裏番長みたいな存在になれば、このような怪しげな物件の入札は、業界に手を回して「出席者ゼロ」にしてやるのです。抜け駆けする業者があれば、下請けにはサボタージュさせて、鉄骨やセメントは2倍の値段で売りつけてやるのです。こんなイロモノ行政の仕事を取ってきても、そこで働く職人は惨めな思いをするだけで、良い思いをするのは、専用食堂で飯を喰う天下り官僚だけです。
 私は末端の労働者に過ぎませんが、あとで言い訳に困るような、怪しげな公共の仕事はやりません。店を辞めてでも、避けます。住宅、道路、学校、病院といった、堂々とした仕事に限らせて頂きます。

 誤解のないように、申し添えておきますが、これは、アスファルト舗装とか、高架道路のペンキ塗りとか、必要不可欠な公共需要を非難するものではありません。一部論者が、アスファルトは経費がかかるとか言って、舗装業者まで非難するような主張をしているのは、お門違いというものです。それを言うなら、まず、コンクリートだけの道路を作ってから言うべきなのです。さもなきゃ、コンクリートだけの道路を作ろうと提言すべきなのです。いま現在、日本中の道路がアスファルト舗装されている以上、そのメンテナンスは必要不可欠であり、必要不可欠な職務を遂行する労働者には、社会的尊敬とそれなりの報酬は不可欠なのです。こういう論者は、言葉の端々に労働に対する蔑視が見え隠れします。むしろ彼こそ、言い訳に困るような会館やセンターを作って、専用食堂で飯を喰う身分ではないかと思ってしまうのです。

 くれぐれも、お忘れのないように。1993氷河期は、不景気に加えて、ゼネコン汚職への社会的制裁があった事。そして、多分、逆もまた真なり、なのです。


 










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