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徐菊文略歴:1986年、遼寧電視大学を卒業。1996年、遼寧財経学校で経済類課程を学ぶ。1998年、貿易分野のビジネスチャンスを求め、日本を訪れる。2003年、永安日本自動車学校を設立。2004年、株式会社天順を設立。

初めて徐菊文校長に会ったとき、徐校長は自動車学校の生徒に丁寧に個別指導をしていた。中国語で自動車運転の理論を教えると同時に、対応する日本語で解説を行う。自動車学校で運転を学ぶと同時に、日本語のレベルもアップさせることができる、というのは珍しいことだ。
――どうして自動車学校を作ろうと思ったんですか?
2000年のとき、夫とともに東京に定住し、日本の自動車学校で中国人対応の教師として働き始めました。学科教師をやっていたんですが、生徒の中には日本語レベルが低いために勉強がうまくいかず、なかなか免許が取れずに多くの時間とお金を浪費している中国人がたくさんいることを知ったんです。これではかわいそうだと思い、仏教も信じていることもあって、在日華人が安心して免許が取れる中国人のための自動車学校を作りたいと思ったんです。日本で運転免許を取るという夢を実現させ、多くの華人たちの助けになろうと思い、永安自動車学校を作りました。

私たちの生徒は主に数種類に分けられます。まず、日本に帰った残留孤児や日本人と結婚した中国人。これらの人々は遠くに住んでいる場合が多いので、免許を取る目的は主に仕事や外出のためです。それから大学を卒業したばかりの大学生や、仕事を探しに日本に来たばかりの中国人。彼らは仕事探しを有利にするために、運転技能を学ぶことが目的です。それから、中国人経営者。彼らは貨物の運送や社交活動への出席などのために、車を運転する必要があり、ここで学んでいます。
――自動車学校の設立から今まで、最大の収穫はなんですか?
私たちの自動車学校は日本で開校した初めての正規の中国人自動車学校であり、初の株式会社自動車学校であり、中国語で試験が受けられる初の自動車学校であり、さらには中国人が設立した初の公安委員会届出校です。教師は専門技能と強い責任感を持ち、全ての生徒の学習品質を保証しています。開校以来6年間たちますが、教えた生徒が重大事故を起こしたことは1度もありません。

また、私の価値観なのかもしれませんが、「収穫」というのはお金の量を表すのではなく、社会にどのような貢献をしたかだと思います。大勢のために具体的な事を行い、安全意識を高め、皆さんが安全運転をし、安心して生活を送り、一生を平穏に過ごせるようにする。こういうことが私にとってうれしいと思うことです。
――自動車学校を経営する中で、残念だったことはありますか?
かつて、学生の要求にこたえて横浜に分校を作ったんです。横浜の中華街には中国人の調理師が多く、仕事の都合から、東京の本部で運転を習うわけにいかないのです。そのため、中華街で自動車学校を作りましたが、練習場の借賃が高すぎる事や、技能試験の予約時間が長すぎることなどから、自動車学校は半年以上赤字となり、横浜分校は開校1年半で閉める事になってしまいました。その後、千葉県、名古屋市にも分校を作りました。千葉県の分校は、主に帰国した残留孤児のためのものです。しかし、土地の借賃が高すぎるなどの問題で、この2つの分校も1年ほどでそれぞれ閉校になりました。分校の開設がうまくいかなかったことは、とても残念に思います。だから、今後は東京の本校に力を集中してやっていくつもりで、しばらくは分校の開設を考えていません。

徐菊文さん
――中国語での学科試験の状況について教えてください
仙台で公安委員会届出校を申請し、話し合いを通じて最終的に仙台で中国語試験が受けられる認可を得ました。技術類の試験は条件が厳しく、受験生は仙台に住んでいることが前提です。その後、努力を通じて、数百人の生徒が中国語で免許を獲得しました。しかし免許を獲得した中国人がそれを大切にせず、違反行為などを行ったため、日本政府は今年の3月24日以降、中国語試験の実施を禁止しました。生徒への責任ある態度を貫くため、私たちも3月24日以降、中国語試験の生徒募集を取りやめました。現在の生徒たちは全て日本語で試験を受けています。

――在日華人の人数が増えるにつれ、生徒の数も増え、ビジネスもうまくいくようになったのでは?
実のところ、そんなに関係がなかったです。燃料価格が高騰したため、昨年8月から今年4月までに申し込みした生徒は以前よりも減少しました。特に中国語試験が中止となったせいで約4カ月間生徒が入らず、かなり大きな損失となりました。しかし今年の5月から申し込み人数がやや増えだしました。生徒は静岡、京都、長野、岐阜、群馬など日本各地から来ています。

また、同業者との価格競争や規約破棄の影響で、経営が困難を迎えたこともありました。しかし、教師たちが一致団結し、自動車学校の名誉と実力でもってこの苦境を抜ける事ができたんです。

――どのように危機を乗り切ったのですか?
まず、人として生きるからには誠実さが必要だと思っています。絶対に約束を守らなければならない。例えば、中国語の試験が今後続けられるかどうか分からない時期には、たとえ自分たちに損害が出たとしても、引き続き生徒を募集する事はしませんでした。すでに学習を始めた生徒には一人ずつ電話で通知し、日本語の補習をし、中国語と日本語を対比させた解説を行い、日本語試験に受かるようにサポートしました。現在の生徒たちもそうです。中国語試験は取り消しとなりましたが、生徒たちが無事免許を取れるよう、全力を尽くしていきます。永安では運転技術だけでなく、日本語レベルもあげる事が出来るとみな言ってくれます。

また、特殊な状況にある生徒には学習時間の制限を設けていません。3年前にここに来て、まだ学んでいる生徒もいます。また、教師陣には自信がありますし、いつも感動をもらってきました。前に働いていた教師たちが同業の高給求人を求めて転職していくなかで、残ってくれた教師たちがいました。自動車学校が一番困難だった時期に、給料がなくても永安に残ってくれた教師がいました。心を一つにして一致団結し、共に困難を克服したんです。



――日本で長年働くなかで感じた事は?
中国人は人としての素質をもっと高めるべきだと感じています。中国人は頭はいいですが、細かいところへの注意が足りません。例えば、試験が終わった後、椅子を元の位置に戻すことに気がつかなかったり、公共の場で大声で話をしたり、試験のときの教官への態度が礼儀に欠ける生徒がいます。このような文化的な素質での不合格が、試験での不合格を招いていることが多いのです。このことは、生徒にとっても、自動車学校にとっても大きな影響をもたらしています。

――自動車学校の生徒たちに忠告する事はありますか?
運転するときには責任意識と安全意識を必ず持ち、違反をしないで欲しい。最も重要なのは、規律を尊び法を守ることです。中国語の試験が受けられなくなったならば、真面目に日本語を学び、日本語の資格試験を受け、いんちきをしないで欲しい。これが、自分、家族、社会に対しての責任ある態度というものです。生徒たちが学科・技能を真面目に学んでくれることを望みます。これらの技能は一生を平穏に過ごすために役に立つのです。

――今後の計画は?
自動車学校を引き続きやっていくと同時に、学校が不景気のときも、サポートできるように、中日貿易の分野にも進出したいと思っています。また、中国人だけでなく日本人の生徒も募集したいですね。

それからこれはずっと望んでいた事なのですが、やる気と熱意ある友人を見つけて、無料の語学学校を開きたいと思っています。日本についたばかりの中国人に系統立てて日本語を学ぶ環境を提供し、日本の生活に早く適応できるようサポートしたいのです。(編集SN)










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