2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR] これは、ヤフー・ニュースです。[PR]  

【第84回】 2011年9月23日 姫田小夏 [ジャーナリスト]
敵か味方か――アフリカと中国は真のパートナーになれるか
12345関係が深まるにつれ見えてきた
「アフリカ−中国問題」
 アフリカで急増する中国人の“お行儀の悪さ”が問題になっている。

 昨今、アフリカから中国に渡って来るビジネスマンが増えているが、この上海のアフリカン・コミュニティにおいても「アフリカ−中国問題」は日常的な関心事でもある。

 先日もアフリカ南東部にあるマラウイ共和国で起きた、現地の中国人に矛先を向けた暴動が話題になった。

「マラウイの中心街では中国人資本の店が襲撃された。みんな中国人にはいい感情を持ってない。ローカルの商売がどんどん潰され、地元民は我慢の限界に来ている」

 一方、それはアフリカの西にあるマリ共和国にも共通していた。上海在住のマリ人はこう話す。

「街を走るのは中国製の安いバイク。中国人の商売人がやってきて、ありとあらゆる中国製の工業製品を売りつける。安い中国製に地元資本は利益が取れなくなっている」

 ちなみに、同国のインフラ整備の多くは中国資本が受注している。中国海外工程有限責任公司(COVEC)が中心となって道路整備や橋梁工事、住宅建設、大学のキャンパスや総合病院建設などを行ってきている。病院開設に当たっては、ローカル人材を上海に送り込んでトレーニングさせるほどだ。

「彼らのやり方は“オール・バイ・チャイニーズ”、中国政府が中国企業を進出させ、そこに中国人をも派遣させる。我々ローカル市民の出る幕がない」――アフリカ人の不満はこんなところでも高まっている。



ビジネス以外に
「非道徳的行為」も流入
 一方、中国資本がアフリカに持ち込むのは「中国式ビジネス」だけではない。これまで地元にはあり得なかった「非道徳的行為」まで持ち込んで、社会問題を引き起こしている。

 ラブホテル経営や風俗もそのひとつだ。中心街の高級マンションの空き室をフロアごと借り上げ、こぎれいに内装して時間貸しする。その新手のビジネスは妻帯者を含めた富裕層や若者がターゲット。昔はなかったこのモラルハザードに、信仰ある人々や社会全体が批判の矛先を向けている。

 また、不動産の賃貸をめぐっては、中国人は「群租」という独特の賃貸のやり方をアフリカに持ち込んだ。群租というのは、ひとつの大きな部屋を借りてそれを賃借人がさらに複数名に転貸するやり方で、中国では経営者が外省出身の従業員の宿舎などに使うためによく使う手でもある。

「中国人を相手に契約をしたら、なんとその家に20人の中国人を詰め込んできた」と慌てふためくアフリカの不動産オーナー。ケアが行き届かないどころか、家の劣化が早くなってしまうと、これもまた地元から顰蹙を買っている。

 地元経済を崩壊させてしまうどころか、法律も道徳もまったく意に介さない、そんな中国人の経済活動に対し、現地では強い不満の声が高まっているのだ。

 しかしその中国との関係をばっさりと切ってしまうわけにはいかない。なぜならアフリカにとって中国は、真の敵ではないからだ。

アフリカの複雑な対中感情
「アフリカにとって中国は敵ではない。なぜなら、アジアの国は我々を奴隷にしたことも植民したこともないからだ。中国はアフリカになくてはならないパートナーだと思っている」



 アドゴニー・ロロさん(37歳)は、日本でも人気のアフリカ出身の芸能人として知られているが、実は中国に根ざすアフリカ人という横顔をも持っている。1979年、外交官だった父親とともに5歳のときに北京に渡り、90年代に再び留学生として中国大陸の土を踏んだ。現在はアーチストとして上海を拠点に活躍しながら、アジアとアフリカを長期的視点で見つめ続けている。

 彼のように中国の存在を好意的に受け止めるアフリカ人は少なくない。いまだ西欧による植民地支配が実質的に残存しているアフリカでは、どの国民も西欧の影響からの脱却を切望すると同時に、「誰が本当のパートナーか」を思考しないではいられないのだ。

 人権問題や民主化を振りかざしながらも、その実資源ほしさに戦争をしかけてくるフランスなどは論外のようだ。今回のリビアへの空爆に向けるアフリカ人の怒りは強く、ポストカダフィのリビアは、再びフランスの経済植民かと懸念もされている。

 他方、昨今資源外交をたくましく展開させ、国際メディアから「資源略奪」として叩かれている中国だが、むしろアフリカ人たちはこの中国に対してはまったく別な感情を抱いているのだ。

中国とアフリカの長い付き合い
 隣国中国が遠いアフリカとどんなつきあいを維持してきたのか。意外にもアフリカと中国は、切っても切れない関係であることがあぶり出されてくる。

 19世紀半ばよりヨーロッパ列強による植民地支配を受けたアフリカは、1960年代に入ると多くの植民地が次々と独立した。そのとき、帝国支配や資本主義支配からの脱却を求めるアフリカ人指導者らが導入した統治システムは社会主義であり、この時代に中国、ロシアとの関係が強化されたのだ。

 毛沢東とも積極的に交流を行っていた国家指導者も少なくなかった。また、アフリカはロシアともパイプを太くし、60年代、西アフリカの1つの共和国だけで年間800人の留学生を送り込むほどロシアに傾斜していた。しかし、70年代に入るとアフリカの多くの国の政権が軍事政権に取って代わり、社会主義国が消滅して行った。


 他方、中国は改革開放政策(1979年)を導入し、経済発展に向け大きく舵を切ると、さらにその目をアフリカに注ぐようになる。特に中国は1972年以降、国連での票を握るアフリカ54ヵ国を意識せざるを得なくなった。

 同時にアフリカも、西欧の影響からの脱却のため、いっそうその目を中国やソ連に向けた。中国とアフリカの利害は一致し、アフリカは中国に希望を託し、民間にも中国の影響力が浸透していった。

 西アフリカのある共和国には、80年代、学校の先生も中国から派遣されてきた。中国に滞在するアフリカ経済の研究者A氏も「高校時代の数学は中国から派遣されて来た先生に教わった」と話す一人だ。

「中国なしではアフリカの独立の道はなかった」と認識する識者も少なくない。

「タダでやってくれる」
有り難い存在
 さて、2000年代に入ると、中国の対アフリカ経済進出はいよいよ加速をつける。中国企業のアフリカ進出は土木建設プロジェクトの請負という形での進出が大きな割合を占め、その進出は07年以降本格化し、受注するプロジェクトは大型化するようになっていた。

 例えば、アフリカ最大の石油輸出国であるリビアに対して、中国が行った投資の累計額は09年時点で4269億ドルにものぼる。(中国商務部統計)リビア情勢の悪化を見る今年2月以前には、リビアには75企業があり、エネルギーや資源、建設、石油や通信分野で188億ドルに相当する50のプロジェクトを請け負っていた。

 だが、アフリカ人たちはその中国を「資源の略奪だ!」と頭ごなしに批判してはいない。

 上海在住のアフリカ人ビジネスマンは次のように話している。

「貿易自由化や人権問題を振りかざしながら借款を提供しようとする西欧とは異なり、中国はなんでもタダでやってくれる」。










新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50